川上恵(沙羅けい)の芸術村
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                山の豆腐



    いくらゴロゴロとするのが好きでも、流石にもう飽きた。
    それに、寝てばかりではお腹もすかない。

    世の中のすべての物は、木・火・土・金・水の5つの気から成り立っているという、
    陰陽五行説によると、私は水が不足しているそうで、木々はもっと繁りたがっているのに、
    それが出来ずに苦しんでいるらしい。
    体調がすぐれない時は水辺に行くといいよ、とその筋の専門家に教えてもらった。
    信じる者は救われる、である。尤も、自分にとって都合の良いことしか信じないが。

    木立があって、せせらぎの音が聞こえて、人気がなくて、何より涼しくて……。
    そんな所へご飯を食べに行きたいなあ。

    鞍馬と貴船に行きたいなあ、でも遠いなあ……。
    六甲の山上のホテルに行きたいなあ、でも遠いなあ……。
    比叡山も、高野山も遠いなあ。
    この暑さに出不精になっている私には、どこもかしこもみな遠い。

    「金剛山は近いで、家から1時間もかからない」と、家人が言う。
    家人は最近の故障続きの私を、呆れながらも心配しているのだ。

    金剛山は、奈良県と大阪府南河内郡千早赤阪村との境目にある、1125mの山だ。
    山麓のロープウエイの千早駅(708m)辺りまでは車で登れる。
    梢を渡る風が涼しい。千早川の水面をトンボが飛んでいる。秋海棠のピンクの花が可憐だ。
    少し生き返った気がした。

    貴船の床料理とは程遠いけれど、六甲山ホテルのフランス料理とは程遠いけれど、
    「金剛山麓まつまさ」という素朴な店で、山家料理なるものを食べた。
    店内にクーラーはなく、自然の風が窓を吹き抜ける。
    この辺りは金剛山の中腹で標高は550mほどらしい。
    ポツリポツリと登山客が窓の下を通る。
    1人登山の女性を尊敬のまなざしで眺めた。群れない人って、清々しくていいな。

    金剛山は古くから「氷り豆腐」の産地で、冬の寒さを利用して凍らせた豆腐は大阪では
    「ちはや豆腐」の別名もあったとか。
    安政6年(1859)の創業で、金剛山の伏流水を使って作られているそうだ。
    
    ならばその豆腐を食べねばなるまい。
    厚揚げと豆腐のおでん、名物のシイタケご飯、ローストビーフ、そして私はビール。
    豆腐はしっかりと大豆の甘みを残し、しいたけは肉厚で、昔、お祖母ちゃんの家で食べた
    確かで、懐かしい味がした。
    ローストビーフを初めて食べたのはいつだったか、20歳を過ぎてからだったかなあ。
    
    店先に千早城の模型が飾られているのは、さすが楠正成の土地柄である。
    奇策を施したことで知られる千早城は、日本100名城に選定された山城である。

    帰りには店の前にある「山の豆腐」で、木綿豆腐と豆乳を買った。
    「豆乳はどれくらい持ちます?」
    「2時間くらいです」
    しまった、お金を払う前に聞くべきだった。
    モタモタしてられない、さあ、急いで帰ろう!
    
    山を下り切ったところでふと思った。
    北朝鮮にも金剛山という山があるそうだ。向こうではクムガンサンと呼ぶらしい。
    古代、渡来人が朝鮮半島から大和へやってきたときに、故郷によく似た山を見て、「金剛山」
    と呼んだと言う。それが今に残っているのだ。
    私の胸は少し痛んだ。




                2019.8.22