川上恵(沙羅けい)の芸術村
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                    東大寺修二会



     今回の旅は今までで1番近い旅である。我が家の私の部屋だ。
     3月13日にNHKが「闇と炎の秘儀・お水取り」を生中継したが、見逃した私はNHK
     オンデマンドの配信で、1人ゆっくりと視聴することにした。
     国宝の二月堂を駆け巡る松明の儀式はなんどか見たことはあるが、堂内の様子は初めてだ。
     私は部屋を暗くし、気に入りの香を焚いてパソコンのスイッチを入れた。
     3時間の1人旅の始まりだ。

     修二会の行法は、東大寺・二月堂の本尊11面観音に、僧侶たちが世の中の罪を一身に
     背負い、一般の人々に代わり苦行を実践し、国家の安泰や人々の安寧などを祈願する
     法要である。
     この儀式は奈良時代より延々と1270年続いている。
     1度も欠けることなく1270回だ。
     気の遠くなるような真摯さ勤勉さ信仰の力の大きさに、もう私は感動をしている。
     
     松明のあと堂内で行われる秘儀が映し出された。白い御帳がぼんやり浮かび上がる。
     御帳の奥が内陣である。帳が仏の世界と人間世界の結界だ。
     ライトを使わない撮影はNHK始まって以来の暗さだとか。
     突然の固い音! 練行衆が床を踏み鳴らす下駄の音だ。歯のない下駄は差懸(さしかけ)
     と呼ばれ、床板を打って甲高い音が響き渡る。
     音は堂内を回っているのか、大きくなったり小さくなったりする。
     御帳の中は蝋燭の炎が揺れている。
     僧侶の影が、ぼんやりと白い布に浮かんだり消えたり……影法師の語源だ。

     行法についての由来が興味深い。
     東大寺の僧・実忠が笠置山の山中で、菩薩が行っていた有難い行法に出会った。
     実忠は地上界でもこの行法を行いたいと菩薩に願うが、天上界の1日は人間界の400年に
     相当するので無理であると断られた。
     そこで実忠は、「ならば行堂を走りましょう」ということで許されたという。
     なるほど、狭い堂内を駆け巡る理由が分かった。
     このときに任に当たる僧は11名、その僧侶たちを練行衆と呼ぶ。

     シンバルのような音が響き、素朴な鈴の音が聞こえる。そして鐘の音。
     西域の音色だ、天山山脈・莫高窟・敦煌……奈良がシルクロードの終着点だと改めて知る。
     インドや中国、チベットで行われてきた秘儀が続いているのは、いまや二月堂だけだ。
     日本人の勤勉さ、真面目さを有難く思う。
     やがて日本全国津々浦々の神々を招くために法螺貝が吹かれ、神名帳が読み上げられる。
     私が生れた田舎の神社の神も呼ばれただろうか。
     驚くことに、怨霊となった神も招かれるそうだ。
     神仏がお互いを称え合っていた、神仏習合を目の当たりにする。

     やがてクライマックスの韃靼(だったん)。
     狭い堂内を火が走る。舞う。飛び散る火花。闇を流れる炎の美しい力強さ。厳かさ。
     私は二月堂の修二会に、原始の人達の火への畏れ、崇拝、神聖、浄化、昇華を見た
     気がした。
     人間が火を使うことを知って以来持ち合わせているDNA。
     火は人の精神を湧きたたせ、また鎮める。悪を焼き払い煙となって天上へ昇ってゆく。
     そして激しい下駄の音。グルグル堂内を走りめぐる下駄の音・音・音
     まるで荘厳なオペラだ。

     白い御帳が巻き上げられた堂内は、漆黒の漆に金箔をまき散らしたようで、まさに
     天上世界だ。
     時おりの鐘の音。
     私は仏教の奥深さ巾広さの一端を垣間見た気がした。「南無観世音菩薩」と呟いた。
     
     
 2021・3・23