川上恵(沙羅けい)の芸術村
 話のポケット
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                       水族館はいかが?


      暑さのせいか、急に水族館へ行きたくなった。
      悠然と泳ぐ魚の群れをぼんやりと眺めていたい。

        友人から、和歌山の自然博物館はいいよ、名前は博物館なんだけれど水族館なの。
        魚たちを独り占めできるよと、教えられていた。
      それって入場者があまりないってこと?


        ジュゴンもジンベエザメもいないけれど、15メートルの水槽の中では、
      エイや巨大なロウニンアジなどが、ゆったりと泳いでいる。
      和歌山県沖を流れる黒潮の魚たちである。

        水槽の前の椅子に座りながら、海中に身を置くような臨場感を堪能する。
        観客は夫と二人だけという贅沢。
       「魚どうし、ようぶつからんことやなあ」
        夫は感心しきりである。

        私はイワシの水槽の前に釘づけになる。
        イワシの回遊の様は美しい。
      きらきらと輝いて、まるで宝石をばらまいたようだ。
      ただ泳ぐことだけが目的の、シンプルさが美しい。

        そしてカイカムリ。
        小さな蟹が海綿を背負っているのだ。
      敵から身を守るためだという。その知恵、健気さに、
     「偉いねえ、あまり重いものを背負いなさんなや。疲れるから」と

        ガラス越しに声をかける。
        カニはことりとも動かない。

        
        ふと大阪の堺市にあった、大浜水族館が思い出された。
        あれは小学校2年生の遠足だった。
        初めて見る水族館は、まるで竜宮城だった。
        ガラス窓の向こうに、鯛や海亀が泳いでいた。

        蛸壺から蛸が這い出し、丸い吸盤がガラスに張り付いていた。
        足の長い蟹が砂の上を動きまわるが、足が一本とれていて、
      子供心にもせつなかった。

        私達は四角い窓に顔をくっつけ、海の中の世界に魅了された。
        現在のように設備の整った水族案ではなかったが、大阪で唯一の水族館だった。
        マンタもラッコもジュゴンも、その存在すら知らなかったが、
      それでも私達は満たされていた。

        水槽のガラスが、私たちの吐く息で、子供の数だけ丸く白く曇った。

        和歌山県立自然博物館は、昭和の優しさ、懐かしさの漂う水族館であった。
        来世は、夏だけ魚に生まれ変わるのも悪くないなあ……。

        

       

 

                                                            2011.7.15