川上恵(沙羅けい)の芸術村
 話のポケット
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                石碑を訪ねて



   石碑だけを訪ねるために奈良を回った。
   今までは石碑などというものに、そうそう興味もなく、チラリと見るか素通りするのが
   常だった。
   だが今回は違う。石碑だけを見るのだ。

   お目当ての阿倍仲麻呂の碑は、安倍文殊院の金閣浮御堂を背景に風雅に堂々と、建っていた。
   池に朱色の浮御堂が映っている。
      あまの原 ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも
   有名な望郷の歌は榊獏山さんの字体である。
   横には安倍首相の寄進の灯篭が灯りをともしている。
   
   安倍文珠院は、大化の改新の時に、安倍倉梯麻呂が(くらはしまろ)が、安倍一族の氏寺として
   建立したのが始まりである。京都の天橋立切戸、山形県の奥州亀岡の文殊と共に、日本三文殊
   として名高い。
   そうか、安倍首相も安倍一族の末裔の末裔なんだ。

   境内を少し行くと、来年の干支の猪が、黄色のパンジーと葉ボタンで描かれている。
   巨大な花の絵馬だ。
   来年が年女の私は、なんだか祝福されているようで、「猪突猛進」大いに結構と、
   意を強くしながら小高い丘を上った。
   
   二上山と金剛山が真正面だ。
   畝傍・香久山・耳成の大和三山がくっきりと美しい。
   そんな大和平野が一望できる場所に、「安倍晴明公 天文観測の地」の石碑が建っていた。
   なるほど、ぴったりの地だ。
   二上山は確か「太陽の道」の通り道だ。
   晴明はこの場所に立ち、太陽の位置を観察し、星の運行を観測したのだ。
   スッキリとシンプルな碑は、清らかな晴明の姿とオーバーラップする。

   夢枕獏さんの「陰陽師」が大好きだ。
   シリーズのほとんどは読んだだろう。
   野村萬斎演じる晴明が、はるか二上山を眺めている姿が浮かび上がる。
   碑だけを訪ねるつもりが、私の頭はすぐに余計な妄想を始める。

   傍に建つ「ありがとう ウォーナーのオジサン」なる、ほほえましい碑が目についた。
   ウォーナーのオジサン、って誰だ?
   アメリカの美術史家で、太平洋戦争中に日本の文化財を空襲の対象から外すように進言した人
   らしい。
   この供養塔は、日雇い労働者の一市民が、博士に感謝の気持ちを表したいと、コツコツとお金を
   ため自費で建立したという。まさに清明な心根の石塔である。
   私はそっと碑に触れた。暖かい石だなあ……。
  
   
   石碑巡りは唐招提寺へと続く。
   唐招提寺の横を流れる秋篠川沿い、仲麻呂の碑が小雨に濡れている。
   そう、私は筋金入りの雨女なのだ。
   碑には唐風の屋根がついていて、阿倍仲麻呂卿碑の文字が彫られている。

   一帯には何基かの供養塔や歌碑が、語らうように並んでいる。
   「敵味方供養」というのには、なるほどと脱帽である。
   人気のない川沿いに碑は安らかだ。

   石碑だけを訪ねるのも、悪くないなあ。
   冷たい石が命を持っている、そんな風に石碑を見たのは初めてだった。
   石碑は文字だけを読むのではないんだなあ……。
   石の中に込められた歴史や思いを、読むんだなあ……。

   
                   2018.12.21

     碑の数々やジャンボ絵馬を写真でお見せしたいのに、最近、カメラから写真の取り込みが
     できず、残念! 写真のない旅なんて、テンションが下がるなあ。