川上恵(沙羅けい)の芸術村
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       廬山蓮


   吉野山で「神南辺隆」なる、気になる石碑を見つけた。
   神南辺道心(かんなべどうしん)ゆかりのものだ。

   神南辺道心は元は燗鍋弥兵衛といい、鍋などをつくる鋳物詩だった。ところがひどい道楽者で、
   家族はもとより周囲の者も手を焼き困り果てていた
   たまりかねて、仏門に入った息子が「御仏への申し訳に母と私を殺してほしい」と詰め寄った。
   息子の思いつめた形相・一言に弥兵衛は改心し、自身も仏門に入ることを決意する。
   以後は罪滅ぼしをすべく、社会のため人のために尽くすのである。
   寄付をつのり道を通し、橋を架け、寺の修復を行い、私財を投じては道しるべを建てた。
   その道標は大阪・堺・和歌山・奈良などに、おびただしい数である。
   わが街、藤井寺市の葛井寺の門前にも道標が建っている。
 
   その生きざまに興味を覚え、墓を訪ねるべく堺の旭蓮社・大阿弥陀経寺に向かった。
   それに、
   この寺を訪ねたもう1つの理由は、寺名からも分かるように「蓮」である。
   開基の澄円が中国の廬山で修行をし、帰朝にさいして蓮の種を授けられたそうだ。
   境内にその「廬山蓮」が植えられているのだ。

   由緒正しき蓮は、甘露井のそばに元気よく葉を広げていた。
   どんな花を咲かせるのだろうか。白だろうか、桃色だろうか、赤だろうか……。
   蓮ずきの私は想像をたくましくする。

   帰り際、ふと多聞天の御堂を見上げて驚いた。
   「えっ! 鴟尾(しび)が1つしかない!」
   大屋根はなにか忘れ物をしたようで、間が抜けてみえる。変に寒々しい。
   やはり鴟尾は2つ揃ってのものだなと、何度も振り返りつつ門を出た。
   開花の頃に、もう一度訪れなくては。
   その頃には、屋根は、元の堂々とした姿に戻っていることだろう。
   

             2019.7.1