川上恵(沙羅けい)の芸術村
 話のポケット
エッセー  旅  たわごと    雑感 出版紹介 



             野迫川だより



    大阪の暑さに閉口して、2年ばかり放りっぱなしの小屋に行ってきた。
    今年の5月に夫が病気をしたので、運転は弟と交代である。
    大人しい弟は姉に従順だ。2歳の差は大きい。姉はいつまでも姉で、弟はいつまでも弟だ。
    
    河内長野で食料と水を調達し、車に積み込み、高野山経由で奈良県野迫川村に向かう。
    山上の宗教都市、高野山は、不思議に外国人、とくにヨーロッパ人がよく似合う。
    時代を経た木造の建造物に、金色の髪と白い肌が映えて美しい。
    
    定番の胡麻豆腐を買い、高野山の細長い街並みを抜け、竜神スカイラインに入る。
    夏休み中なのに、スカイラインは貸し切り状態だ。
    標高は1000mぐらいだ。濃い青色、薄い青色と山並みが幾重にも重なっている。
    眼下は深い谷だ。
    
    突然、透き通るような真っ青な色が目に飛び込んだ。
    紫陽花だ。山はまだ紫陽花の季節なのだ。
    なぜか今年は妙に紫陽花に心惹かれていた私は、車を降りてしばらく眺めていた。
    触れるのをためらうような、汚れなきブルー……。

    しばらく走り、
    竜神スカイラインを途中で降りて、野迫川村弓手原に入る。
    何が驚くと言って、いままでなかった天皇陵が、ある日とつぜん出来ていたのには
    心底仰天した。
    「長慶天皇」。南北朝時代の第98代天皇である。
    長慶天皇は北朝に対して強硬派だったため、行宮を何度も足利幕府に攻撃され、その度
    逃避行を繰り返したとか。全国各地に数々の潜幸伝説が残され、墓所が設けられている。
    その数は20カ所にも及ぶそうだ。この墓所もその一つである。
    説明版によれば、
    西吉野から新宮まで山間ルートを辿っての逃避行のなか、この弓手原で終焉を迎えたと
    書かれている。弓手原を「いではら」と呼ぶのも初めて知った。
    知らないことを知るのは嬉しい。

    真新しい天皇陵は、小屋のほん近くである。
    
    野迫川村は流石に涼しい。下界よりは優に5度は低いだろう。
    小屋の下には弓手川の清流、ヒグラシの声が梢から梢へと渡ってゆく。
    細波の様だ。
    カナカナカナカナ……。

    近くを散歩していた弟が、
    「クマが出ていますから、気をつけて下さい」と、パトカーに注意されたと戻ってきた。
    そんなところである。小屋の所在地、奈良県野迫川村は。
    大きな村なのに、人口はたったの370名である。
    
    
  2019.7.30