川上恵(沙羅けい)の芸術村
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              西信貴鋼索線

              

  西信貴鋼索線、この堅苦しい名前、実は高安山ケーブルカーのことである。

  夜、外環状線を車で走ると、八尾の辺りで幻想的な光景に出合う。
   白い光がくっきりと縦一列に、平行線を描きつつ漆黒の高安山を登っていく。
   丸い灯りは、真珠のような光沢を放ちながら等間隔に点々と連なり、
   イルミネーションのように闇を彩っている。まるで光の階段、天上へのネックレス。
   一度あのケーブルカーに乗ってみたいと思いつつ、
   あまりに近場のためについ乗りそびれている。

   いま私は「山ガール」なるものに憧れている。
   柔な心臓しか持ち合わせない私の、ないものねだりである。
   不健康な人間は健康なものに憧れる。

  一歩一歩高みを目指す克己心・忍耐力、健康的な汗、
   そして頂上を極めたときのあの笑顔、
   体中から諸々の邪悪なものが抜け出た清々しき軽やかさ。
   汗で化粧が落ち、素顔なのもいい。中高年のそんな姿をテレビで見ると、
   なんて綺麗なんだと、同性ながら惚れ惚れとする。

  どんな低い山でもいい、頂上に立ってみたい。眼下の景色を眺めてみたい。
   マッチ箱のような家々が立錐の余地もなく、建ち並ぶ光景を眺めてみたい。

  そのマッチ箱の中には、それぞれのかけがえのない人生が、
   ちまちまと営まれているのだ。俯瞰することでしか見えないもの、
   それらを一望することで、勇気や優しさ諦念やらを再認識したいのだ。
   というわけで今夏私は、ケーブルカーを利用しての高安山登山を思いついた。
     
     信貴山口駅から乗車する。近鉄の西信貴鋼索線である。
   西信貴ケーブルとも呼ばれるが、私は鋼索線なる言葉を、この歳になるまで知らなかった。
   料金は片道540円。少し割高だなと、主婦の感覚がチラッと頭をかすめる。
   初めての駅、初めての乗り物、ひなびた感じの駅はローカル線の雰囲気が漂っていて、
   私はワクワクと満足をする。

  黄色い車体に虎の絵が描かれたケーブルカーが停車している。
   虎は信貴山の守り神だとか。暗い駅舎に鮮やかな黄色が目をひく。
   阪神ファンが涙を流して喜びそうな車体には、「しょううん」という名前がついていた。
   私は一番前の席に座った。

  やがて発車の、少し割れた音色のブザーが鳴った。乗客は私を含めて三人だ。
   ゆっくりとケーブルカーは登り始めた。ゆるやかな上り坂だ。
   二か所の踏切を超える。一般人が横断できる踏切を持つのは珍しく、
   全国的にもこの路線と、同じく近鉄の生駒鋼索線の二路線だけだそうだ。
   線路脇には住宅が並んでいた。

   窓から掴み取れそうな木々の梢、小鳥のさえずり、
   小さな箱は異空間に私を運んでくれる。短いトンネルを抜けた辺りで、
   下りのケーブルカー「ずいうん」と対向する。思わず私は黄色い車体に手を振っていた。

  次第に高安山は深緑一色の、深山の様相を見せ始める。いっぱしの山の風情だ。
     突然、目の前のレールがそそり立った。そう思える程の急勾配である。
   低山だとタカをくくっていたのに、肩に力が入る。窓の下には深い谷が続いている。
   谷底は暗くて見えない。「540円は高くない! ぜったい高くない!」 
   私は小声で呟いていた。

  やがて急勾配のまま、西信貴鋼索線は標高420Mの高安山駅に到着、
   信貴山口駅から七分であった。この駅で車での夫と合流する。万が一の救護隊である。

  高安山は生駒山地の南方の大阪府八尾市服部川と、奈良県生駒郡平群町久安寺との
   境にあるが、488メートルの三角点は、わずかに八尾市側に位置するとか。

  もどきとは言え、山ガールは山頂の三角点を目指さねばならない。
   車を駐車場に置き、付き添いの夫と、高安山駅後方の山道に入る。
   私たちの他に人影はない。蜩のカナカナの声が細波のように梢を渡る。
   木立の隙間から木漏れ日がチロチロ揺れる。下界の35度が嘘のような涼しさだ。

  緩やかな勾配だが、私は十歩歩いては休憩を繰り返す。だが胸元のロケットには、
   お守りのニトロ錠が入っているので安心だ。
   やがて二十分程歩くと、突然真っ白い建物が出現した。
   細長い建物に球形のレーダーが乗っている。高安山気象レーダー観測所である。
   大阪管区気象台から遠隔操作されており、
   観測所から半径約300キロ範囲の気象観測を行っているそうだ。
   河内の地で天気の見張り役とは思いもよらなかった。
   かたわらには「高安山城跡」の石碑が建っている。

  667年、天智天皇が白村江の戦後、百済領に進出した唐の勢力の侵攻に備えるために
   造った山城だと説明が刻まれていた。大阪側の急な崖は自然の防塁となったようだ。
   高安山は近代的なものと、古い歴史を有した山であった。
   河内が面白いと思う所以である。

   地図によれは三角点はこの辺りの筈である。探し回ったが、にわか山ガールでは
   見つけられなかった。諦めの悪い夫は未練気に、なおも探し続けていたが。


     以来私は、昼間でも外環状線を走ると、高安山を見上げる癖がついた。
   あの山の頂上まで登ったのだと思うと、妙な親近感が湧いてくる。
   今迄気づかなかったが、天辺に、丸い頭の白い建物がチラリと見えるのも新発見だ。
   近くの景色というのは、案外に見ているようで見ていないものである。