川上恵(沙羅けい)の芸術村
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                           河内西国霊場巡礼


     思い立って「河内西国霊場巡礼」なるものを始めた。
     私はいつだって思い立って、である。
     何日も何か月も熟慮して、行動を起こしたことは皆無だ。
     だが短慮軽率なゆえに、すべて尻切れトンボである。

     四国88カ所も、西国33所も、関西花の寺も、大和13仏霊場も……
     どの巡礼も満願を迎えたことはない。
     なのに性懲りもなく、今回は河内西国である。

     「行」だから歩きの巡礼が本来なのだろうが、私は車である。
     だがこの車でさえ、なかなかに大変である。
     霊場は、霊気の漂う山手に多いのだ。
     曲がりくねった道幅は狭く、対向車がこないかと心臓に悪い事このうえない。
     
     巡礼はひと月ばかり続いた。

     33所に客番の5寺を加えた38所、その全ての寺院をまわり終えたと言いたいが、
     生駒山中の何ヶ寺だけはギブアップをした。
     車で行けないのだ。最寄駅から小一時間、急な坂を登らなければならない。 
     坂を登り切るまえに、私の心臓が止まるに違いない。
    
     これぞまさに「行」、巡礼である。


     河内は沢山の顔を持っている。奥行きが深い。
     京都や奈良に遜色のない寺院が山麓に、あるいは町の中に、さり気なく存在している。
     「このお寺、もし京都や奈良にあったら、間違いなく、拝観料500円やね」
     有難さも、なお更である。

     今日訪ねた、富田林市加太の、第4番・龍雲寺(黄檗宗)も、まさにそんなお寺である。
     清浄な境内をまわると、釈迦の一生を知ることが出来る。
     それに四季折々の樹木や花の美しいこと。丁度、蓮が盛りだった。
     私は何が見えるかと、蓮池をのぞき込んた。
     地獄は見えなかったが、蓮の葉を転がる大きな水の玉が、7色に輝いていた。
     迦陵頻伽ではあるまいだろうか、何種類もの小鳥の澄んだ鳴き声が、あちこちに聞こえる。
     

     私は極楽の疑似体験をしたのだろうか。
     ますます河内が好きになる。