川上恵(沙羅けい)の芸術村
 話のポケット
ホーム  エッセー  旅  たわごと    雑感 出版紹介 
                  


                     岸壁の母


   どうしてもしてみたいことがあった。
   舞鶴港で日本海に向かって、「岸壁の母」を歌ってみたいというのが夢だった。
   そんな馬鹿げたことを面白がるのは、弟以外にはない。
   そこで、いつものごとく弟夫婦と私たち夫婦の4人旅となった。

   「やっぱり岸壁の母は、二葉百合子やね」と、私が言えば、
   「いやいや俺はだんぜん菊池章子や。菊池章子の声ははせつないで」と、弟は譲らない。
   そんな姉弟を夫と義妹は白けた顔で見ている。

   
   舞鶴港は引揚港として、昭和20年の第1船の入港から、昭和33年9月7日の最終船まで、
   13年もの間、その使命を果たしてきた。
   その間、66万4531人の引揚者と1万6269柱の遺骨を受け入れたそうだ。
   
   舞鶴引揚記念館は、引揚桟橋を見下ろす丘陵地に建っている。
   館内にはシベリアでの抑留生活の様子や、引き揚げに関する模型や写真が数多く展示され
   ている。
   狭く寝心地の悪いベット、極寒を耐えた衣服、計りで重さを計って配られる黒パン。
   紙の代わりに白樺の木の皮を薄く剥ぎ、空き缶を加工したペンと、煤を水で溶かして作った
   インキで、日々の思いを和歌で記した白樺日誌。
   最後の引揚船の後を追いかけて、流氷の海に飛び込んで無事帰還した抑留者の飼い犬の
   クロの話……。
   戦争を知らない私はその悲惨さに言葉が出なかった。、
   二葉百合子や菊池章子だと、言い合っているのが恥ずかしくなった。

   とその時、岸壁の母を聞かせるヘッドホンが目についた。
   一瞬躊躇したが、ヘッドホンを耳に当てた。
   歌手は二葉百合子でも菊池章子でもなかったが、私は繰り返し聞いた。
   
    “とどかぬ願いと知りながら  もしやもしやに もしやもしやに  ひかされて”
 
   舞鶴引揚記念館はユネスコ世界記憶遺産に登録されている。
   私はもう、日本海に向かって「岸壁の母」を歌おうとは思わなかった。



                                    2018.5.6