川上恵(沙羅けい)の芸術村
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                 葉山神社



     「川上さんのお母さんの名字、確か葉山さんでしたよね。羽曳野市の西浦に
     葉山神社ってあるの知ってはる?」
     ある日、知人からそう教えられた。
     「へえ、それって葉山一族の神社ですか」
     「そうだと思いますよ。地元の人もみんなそう呼んではりますから」
     「マイ神社ですか。お母ちゃん生きてたら喜ぶやろな。ぜひお参りしたいです」

     西浦新町は羽曳野市の中ほどに位置する。
     初めて訪れる町なのに、この懐かしさはなんだろう……、
     生まれ育った三宅町に、どことなく似ている。黒壁の下に腰板を張った立派な
     門構えの家が続き、屋敷の脇を石積みの溝が流れている。豊かな地域のようだ。
     小型の車しか入れないような細い道の先に、葉山神社は酷暑の真白な太陽の下に
     静まり返っていた。
     はやる心を抑え鳥居の下に立った。

     だが扁額に葉山神社の文字はなく、鹽竃神社
(しおがま)・正神(しょうかみ)神社とある。
     不審に思いながら鳥居をくぐった。小ぶりな本殿は清々しい。
     いかにも一族の氏神様らしい、その控えめさが私には好ましい。
     こぢんまりとした境内には白髭大神と、国指定天然記念物・しおがま桜の碑が建っている。

     葉山神社という名称じゃないね、と残念がる私に、案内してくれた知人は、神社守りを
     紹介してくれた。
     潜り戸のついた門に「葉山」の表札が上っている。門扉は黒ずみ、年代を感じさせた。
     屋敷に沿って溝が流れ、小さな石の橋が架かっている。
     この地が祖父のルーツかと胸が熱くなった。
     挨拶もそこそこに開口一番、「この神社は葉山さんのご先祖が建立されたのですか。
     どうして葉山神社ではなく、鹽竈神社・正神神社の額が上っているのですか」

     「永禄12年(1569)に先祖が建てたと聞いています。
     当時、仕事の関係で鹽竈の方に行き来していたので勧請したようです。
     正神神社については、この家の屋号は正上です。
     畏れ多いので字は変えていますが『しょうがみ』です。
     私の方で神社のお守りをしていますが、いまでは西浦新町の氏神様です」
     100戸数の内、3分の1が葉山姓だという。
     堂の中には鹽竈にちなんで釜が祀られていたが、永禄12年の創建の碑は、堂の下に隠れて
     見えないのが残念だ。


     家系図などという大層なものには関心がなかった。
     先祖のルーツを知りたいなど、思ったこともない。だが母が亡くなり、母にまつわることが
     知りたくなった。母恋のための、女々しいルーツ探しである。

     西浦新町は母の父、つまり私の祖父の出身地だ。だが何歳の時、
     西浦を出たのかは知らない。私は祖父が好きでなかったし、興味もなかった。
     西浦新町を出た祖父は、中河内郡三宅村に居を構えた。
     一代で、呉服商・米穀商・薬局・燃料店を築いたのだから、一応は成功者の部類入る
     だろう。
     村ではいくつのも要職についていた。小さな村の名士だった。

     私は権威が好きな祖父が嫌いだった。
     入学式にも卒業式にも、胸に赤いリボンをつけている祖父、村の葬式にはいつも弔辞を
     述べる祖父。気恥ずかしくて仕方がなかった。いよいよ私は、権威というものが
     嫌いになってゆく。

     あれはいつだったろう。たぶん私の20歳ごろのことだ。
     前後の脈絡は忘れてしまったが、自分を成功者だと思うかと、生意気な事を聞いた。
     祖父は遠くを見つめるような目をして、「しょせんは……」と言い、
     あとの言葉を飲み込んでお酒を口にした。
     次の言葉が分る気がした。その一言で少し祖父が好きになった。

     日が経つにつれて、なぜ西浦の地に鹽竈神社なのかが気になった。
     なぜ宮城県まで河内から仕事に行ったのか、謎は深まるばかりだ。
     調べてみると、宮城県の鹽竈神社の近くには葉山神社が鎮座している。東北の地に、
     葉山さんは大勢住んでいたに違いない。
     東北の葉山さんの縁で、河内の葉山さんは宮城県まで商売に出向いたのだ。推理だが。

     写真の母はいつも微かに笑っている。
     「近くに葉山神社ってあるねんで。お母ちゃんの一族の神社があるって、最高やね」
     意気込んで報告しているのに、
     「へえ、そうか。それはそれは。それよりめえちゃん、この暑さ、たまらんな。
     カチワリの氷ひとつ、口に放りこみたいわ」
     現実的だった母が、そう答えた気がした。
     私は氷を浮かべたアイスコーヒーを遺影に供えた。氷はカラカラと音を立てた。